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2007年10月05日

五摂家について

五摂家とは、愛知県名古屋市に本拠地を置く中部圏財界の名門企業の一群で、旧伊藤財閥系企業である東海銀行・松坂屋、インフラ企業である名古屋鉄道・中部電力・東邦ガスの5社で構成された。かつては中部経済連合会(中経連)や名古屋商工会議所(名商)等の経済団体代表職を独占し、名古屋観光ホテルや名古屋ボストン美術館等の開設を主導する役割を担ってきた(この他に、名門企業として興和グループ・森村グループ・中日新聞社を挙げる人もいた)。

1990年代より、東海銀行の消滅(2002年、三和銀行と合併)、名古屋鉄道・松坂屋(2007年、大丸と経営統合を発表)の経営不振、規制緩和による電力自由化・オール電化等による中部電力と東邦ガスの利害対立が生じるようになり、五摂家としてのまとまりは無くなりつつある。これに反比例し、これまで「西三河モンロー主義」と呼ばれ、財界活動と距離を置いていたトヨタグループの路線転換や、国鉄分割民営化により東海旅客鉄道が発足すると、これらの存在感が増大している。最近は五摂家という表現に代わり、海陽学園開設で中心となったトヨタ自動車・東海旅客鉄道・中部電力の3社で、御三家と呼ぶ表現もある。

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2007年09月12日

豊田市

愛知県といったら名古屋市の次に有名なのは豊田市ではないでしょうか。
今日は豊田市について解説したいと思います。

豊田市(とよたし)は、愛知県中北部(西三河地方)に位置する市で中核市である。

濁音で「とよだ」と誤読される事があるが、正しくは清音で「とよた」である。最近は「トヨタ自動車の町」というイメージから、こうした誤読は少なくなった。ただし、市名の由来であるトヨタの創業者である豊田佐吉や一族の苗字はとよだである。

江戸時代挙母藩は内藤家2万石の城下町であった。足助は交代寄合旗本の本多家の治める陣屋があった。寺部には尾張藩重臣の渡辺家1万石の陣屋があった。松平郷は松平家発祥の地でもあり、交代寄合旗本松平家の陣屋が置かれた。 2005年4月1日に6町村の編入によって、市域は南部の平坦地の旧碧海郡上郷・高岡と挙母(ころも)・足助・猿投を主体とする旧加茂郡の大半に及ぶ広大なものとなり、岐阜県や長野県に接している。大合併により、人口41万5千人になり、面積は愛知県全体の1/5を占める様になった。当初は挙母市(ころもし)として市制を敷いたが、1959年1月1日に豊田市に改名された。

■挙母と豊田
「挙母(ころも)」は、三河国加茂郡の挙母郷に由来する。挙母郷は、旧豊田市の中核になった集落。

『古事記』に、許呂母(ころも)、衣(ころも)と表記される。奈良時代の好字二字令によって、挙母(ころも)に。

「豊田(とよた)」は、トヨタ自動車創業者の豊田(とよだ)喜一郎に由来する。喜一郎の出身地である湖西市は遠江国に当たり、磐田市北部が旧豊田郡に当たるので、豊田は遠江国に由来する名称だと思われる。 尚、トヨタ自動車の創始者は豊田佐吉とする説があるが、佐吉は豊田自動織機を創業しただけである。

市制を敷いた当初は、「挙母市」という名称であった。しかし、自動車産業が本格的に軌道に乗り始めた1958年、商工会議所から市宛てに市名変更の請願書が提出された。理由は、挙母市が全国有数の「クルマのまち」に成長した点と、地名の「挙母」が読み難いという点であった(「挙母(ころも)」が長野県の「小諸(こもろ)」と混同されることもあった模様)。
「挙母」という地名には、歴史が有って愛着を持つ市民も多く、一時は賛成と反対で市を二分する程の論議が展開されたが、1959年1月、名称が「豊田市」に変更された。尚、日本の都市名のなかで、団体名がその起源となっているのは宗教絡みの奈良県天理市と豊田市だけである。* 豊田市役所「挙母と豊田」


■佐吉と喜一郎
豊田佐吉は遠江国豊田郡(現在の静岡県磐田市郊外)に生まれ、豊田式自動織機という独自の織機を作り、アメリカ、イギリスを含めて7ヶ国の特許を取得した。後にこの自動織機を取り入れた豊田自動織機が造られた。

佐吉は息子の豊田喜一郎に対し、「これからは自動車の時代だ。お前は自動車を作れ」と常々諭していた。父の遺言を受けた喜一郎はトヨタ自動車を創業した。

なお、喜一郎は会社を立てる際、挙母市か大府市か碧南市かで大いに迷っていた。しかし当時の挙母市はまだそれほど発展しておらず、他の2市に比べ格段に土地価格が安かった事から、現在地に会社を建てることを決めたという。


■万博
「2005年3月25日?9月25日まで開かれた2005年日本国際博覧会(愛・地球博)の長久手会場であった愛知青少年公園の所在地は、隣接する愛知郡長久手町だが、その会場のごく一部は豊田市だった。そのため公式チラシ等の開催地欄にも豊田市と書いてあった。また会場の東ゲートも豊田市であった。」と主張し、少しでも博覧会に関わっていたとアピールしたい豊田市民は多い。

■地勢
市域は2005年4月の合併前の市町村域をもとに豊田・藤岡・小原・下山・足助・旭・稲武の7地区に区分される。旧豊田市(豊田地区)は昭和期の合併前の市町村域を元に挙母・高橋・上郷・高岡・猿投・松平の6地区に区分される。さらに猿投地区を保見・猿投・石野の3地区に細分化することもある。

北部の猿投・藤岡・小原地区や東部の松平・下山・足助・旭・小原地区には猿投山・六所山・炮烙山などの山があり、これらの山間地域は中部山岳地帯の南縁をなしている。南西部の上郷・高岡地区は三河平野に連なる平坦な田園地帯であり、西側はやや高く名古屋市東部の丘陵地に連なる。市内には矢作川、籠川、伊保川、巴川、逢妻女川、逢妻男川が流れる。池には鞍ヶ池、入沢池、梅倉池、貝津新池などがある。郊外には松平氏発祥の地である松平郷がある。また北部郊外には保見団地と呼ばれる集合団地があり、日系ブラジル人が多いことで全国でも有名である。2002年のFIFAワールドカップでは惜しくも開催会場からは漏れてしまったが、優勝したブラジルを祖国に持つ「日系ブラジルの方が多い地区」としてテレビで紹介され有名になった。 山間部は愛知高原国定公園にふくまれており、三河高原や旭高原といった緩やかな山もあれば、旧足助町・稲武町域には標高1000mを超える山もある。

旧豊田市から旧稲武町へ抜ける飯田街道(国道153号)は、かつての「塩の道」として知られている。三州街道(飯田街道)を通じて、長野県南部とつながっていた。奥三河の足助宿は、塩の物流拠点として繁栄した。伊那地方では、「足助塩」「足助直(あすけなおし)」の銘柄で呼ばれた。

また、市内最高地は1229.3m(旧稲武町域/面ノ木三角点)で、最低地3.2m(駒新町)と標高差が約1,200mもある。

2005年4月1日、周辺6町村(西加茂郡藤岡町・小原村、東加茂郡足助町・下山村・旭町・稲武町)を編入した。この合併により、名目上では人口が40万人の大台を突破し、市の面積は県内の面積の約18%を占めることになった。重工業都市だけあって、男性人口が非常に多い。ちなみに合併後、東海3県内では岐阜県高山市・同県郡上市に次いで3番目の広さとなった。

合併時は愛・地球博が開催されている最中であり、新豊田市は万博会期中に誕生した事になる。また合併された6町村も会期中に住所が変わるという珍事が起きた。尚編入合併には当初、隣接する西加茂郡三好町も入っていたが、様々な問題等があり三好町は正式決定前に合併協議会を離脱、最終的に編入されなかった。

■歴史
矢作川東部は、古代に賀茂郡(鴨評)山田郷・高橋郷と呼ばれ、物部氏の西三河における本拠地の1つだったことが、石神遺跡出土の木簡から確認できる。

また、古事記に市の中心部の挙母(ころも)は、衣(ころも)、許呂母(ころも)として登場する。一説に、三河湾の衣浦は、この衣(ころも)から由来するとも言う。

江戸時代には、石高二万石の挙母藩が置かれ、城下町として栄えた。当初は現在の名鉄豊田市駅に程近い桜町に桜城という城が築かれたが、完成直前に矢作川の氾濫により流出した。そのため、18世紀半ばに内藤家二代・学文(さとふみ)によって高台の童子山に新たに築城された。

これが現在の七州城である。このため城下町の範囲は、旧来の豊田市駅周辺の地域と現在の豊田市美術館や名鉄上挙母駅などを含む地域に大きく二分される。また、市の北部には伊保藩という小藩もあった。

1951年3月1日:西加茂郡挙母町が挙母市(ころもし)として市制施行。
1956年9月30日:西加茂郡高橋村を編入。
1959年1月1日:都市名を豊田市(とよたし)に変更。
1960年:デトロイト市と姉妹都市提携を結ぶ。
1964年3月1日:碧海郡上郷町を編入。
1965年3月:市の花をヒマワリに決定。9月1日、碧海郡高岡町を編入。
1967年4月1日:西加茂郡猿投町を編入。
1968年:第1回豊田まつり開催。
1970年4月1日:東加茂郡松平町を編入。
1979年:名鉄豊田新線(現豊田線)が開通。
1988年:愛知環状鉄道が開業。
1998年:中核市となる。
1999年:豊田大橋が開通。
2001年:豊田スタジアムオープン。
2005年:東部丘陵線(リニモ)が開業。
2005年4月1日:西加茂郡藤岡町・小原村、東加茂郡足助町・下山村・旭町・稲武町を編入し、現在の豊田市となる。

私は愛知県出身ですがやはり豊田市があるという事で車はどうしてもトヨタびいきになってしまいます。

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